いざ、鎌倉 [旅…それでもまた、旅へ]
人生は旅だ。 と言う人もいる。
では何故改めて旅をするのか?
自分の居場所、或いは帰るべき場所は此処だ、と確認するため?
終の棲家を見つけるため?
それとも自分の死に場所を探す為に?
唯単に非日常を求めて?
人によって色々理由があって然るべき。 それで良い。
初めての一人旅。 と言っても、日帰りだけど。
未だ十代後半か二十代前半か、どっちだったか。
丁度梅雨時に紫陽花でも撮りに行こうと思い立ち、レンタカーを借りて北鎌倉へ。
一応下調べはしたが、なるべくお金を掛けたくなかったので、拝観料を取らないお寺へ向かう。
て言ったって、数百円なんだけどね。
それで、「紫陽花寺」と呼ばれる「明月院」と「東慶寺」へ。
さすが「明月院」、人だらけ。
「東慶寺」はすいていた。 別名「縁切寺」だからか?
私がちょうど山門をくぐろうとした時、「写真とってもらえませんか?」の声。 カップルが私の真横に。
大丈夫かな、良いのかしら。
なんて思いつつ、シャッターを切った。
「ありがとうございました。」
と、言われたものの、あのカップルは今、どうしていることやら。
幸せに暮らしていると良いのだけれど…
初公開。 初めての一人旅。 [旅…それでもまた、旅へ]
成人式を欠席し、私は新潟へ初めての一人旅へ行った。
形式や、建て前ばかりに拘ることが大嫌いだったから。
中学時代の私は見た目は真面目だったが、真面目と言われるのが大嫌いだった。
堅苦しいことも嫌い。 皆と同じに見られるのも嫌。
その時代の流行の全てを、自分の中から排除していた。
全てに従って行くなんてとんでも無い。 そうかと言って悪ぶるのはもっと嫌。 群れるのも嫌、一匹狼で生きて行く。 そう考えてた。
だからその対極である素直で真面目そうな人間を演じていた。
善と悪、理想と現実、その間の中で苦しんでた。 結果、こんなにひねくれちまった。
でも、皆そうだったのではないかな。 なんて思う
前書が長くなり過ぎました。
その日私は中央線・大糸線と乗り継ぎ南小谷~糸魚川~直江津へと向かった。
そして真冬の猛吹雪の日本海を眺め、旅館へと足を運ぶ。
風呂で冷えた身体を温め、温かい料理と酒で一人の成人式を祝う。
翌日は快晴。 旅館の女将さんからこう言われた。 「お客さん運が良いですね、この時期こんなに晴れることなんて無いですよ」。
晴れ男の所以である。
信越本線・羽越本線を使い水原まで。
此処は、白鳥の湖と呼ばれている『瓢湖』が在る所。 此処で二泊目。
翌朝早めに起きて写真を撮りに行く。 以下三枚その時の写真。
此処で初公開、私の写真です。
小さいので顔の判別もつきずらいだろうと思ったので、掲載します。
こんな奴です。
冬に旅をする時には大抵この装備。
見えづらいでしょうが、左肩にアルミ製のカメラバックを背負っています。
大体10キロ弱かな。 そして、三脚にカメラを付けて手に持ち、これで寒い中を数十キロ歩き乍、写真を撮って行くのです。
ちなみにこれはその時の物ではありません、20代半ばの頃、男鹿半島で撮った物です。
あしからず。
「でっかいど~」 と来れば? [旅…それでもまた、旅へ]
北海道です。
青森県の大間からフェリーに乗り、函館まで。
海岸線を走り、長万部にある二股ラジウム温泉で立ち寄り湯(当時は混浴。 若い女性も何人か入浴中でした)。 最近は綺麗に建て替えられているけど、私が行った頃はこんなではなかった。
それからまた東へと進み、白老・苫小牧の製紙工場を横目で見つつ、海岸線をひた走る。 厚岸で『カニ弁当』を買い、海を見乍らの昼食。
その後、納沙布岬をぐるりと回り、根室で家への土産の毛ガニを買い、発送。 その後もひたすら海岸線を走り続けた。
知床半島の相泊の砂浜にある温泉でまた、立ち寄り湯。 此処は混浴ではなくちゃんと分かれていましたが、女性用の風呂場へ行くには、男性用の風呂場の前を横切らなくては行けない構造。
お湯自体は、なんか昆布だしの中に浸かっている様で、自分が湯豆腐になった感じ。
ここまで一日で走って来た様な話しっぷりですが、途中どこかで一泊しています。 何処だったっけ?
その昆布だしの後は、中標津・開陽台のオートキャンプ場泊り。
翌日、弟子屈・足寄・帯広・富良野、と来たもんだ。 それから芦別・滝川・砂川へ。
ここが第一の目的地。
1984年放送、『倉本聰』原作脚本の日テレ系TVドラマ『昨日、悲別で』の舞台となった場所。
そしてその中心的存在となっていた場所に、私はたどり着くことが出来た。 それが『悲別ロマン座』。
私のこのブログのトップページを飾っているのが、これである。
何故このドラマにこれほどハマってしまったのか、はっきりとは覚えていない。
その後、札幌・小樽を抜け、第二の目的地の余市へ到着。
今年NHKの連続ドラマで流行った『マッサン』の会社へ。
そうです、私の尊敬する人の一人、『竹鶴正孝』氏の創設した、ニッカウヰスキー余市工場を見学することが、この旅の第一目標であった。
(見学する際に、ガイドさんが付いてくれるのですが、この人がとっても可愛かった。)
んでもって、積丹半島を反時計回りに走り、日本海側を南下し函館。
来た時と同じく、函館~大間のフェリーにて本土へ帰って来たと言う訳です。
書いてはいませんが、だいたい4泊位したものと記憶していますが、どうだったかしら。
その後北海道へは、友達や嫁などと一緒に都合4回程訪れているけど、まだまだ行き足りていない。
最低でも半月以上掛けないと楽しめない。
また何時か行きたいな。
津軽海峡冬景色 太平洋編 [旅…それでもまた、旅へ]
「上野発の夜行列車降りた時から~
青森駅は雪の中~。」
冬の旅で一番記憶に残っているのが、青森である。
真冬の津軽路を旅したのは2度程だけれど、かなり印象深い旅だった。
その頃は冬の旅と言うと列車とバスの移動だった。
津軽路も例外では無く、東北本線や奥羽本線回りでの夜行列車。
夜の9時台位だったかな(不確かな記憶です)上野駅を出発し、翌朝青森駅に到着。
今回の記事では主に下北半島側(太平洋側)に絞って記載します。
下北半島へ行くには、青森駅から電車に乗り野辺地へ。 そこで乗り換えることになる。
私が泊まった処は、下風呂温泉のホテル(と言っても旅館みたいなもの)。
ここで朝食に食べたイカソーメンの美味かったことったら。 あの味は忘れられない。
他にはホタテも美味かった。
イカとホタテは北海道と言うイメージが有るけど、青森産の方が私的には好きである。
(と言ったって、陸奥湾に違いは無いか?)
中段の写真2枚(中位の大きさの物)は下風呂温泉の町中と、下風呂漁港です。
それから今度はバスに乗り本州最北端の地へ。
そう、マグロで有名な大間崎へ。 下の大きめの写真はその時の物。
寒かったねぇ~。
吹雪だったねぇ~。
そんなもんで、あちこち歩く気になれなかったので、どこの店にも寄らずに(店自体、営業していたかどうなのかすら分からず)、次のバスでむつ市の大湊駅まで戻った。
今は東北新幹線が開通しているので、青森まであっという間だろうけど、なんか風情が無くなった感じがする。
夜行列車に乗り、酒を呑み、弁当を食べ、一寸ひと眠り。 そして、10分ほど途中駅で停車している時にはホームに降り、真っ暗な中で降りしきる雪が蛍光灯に照らされている風景は絶景だと思っているのだけれど…
一見すると無駄な時間に思えそうな感じもするが、こんな時間の使い方って凄く贅沢な使い方なのではないだろうか。
早けりゃ良いってもんじゃない。
そんな旅の続編は、また近い内にアップします。